企業が障害者を雇用する新しいきっかけをつくるため、
体が不自由な方が寝たきりでも遠隔操作できる分身ロボットを使って、カフェ店員として働く「分身ロボットカフェ DAWN」。
その活動は様々なメディアで取り上げられ、社会にインパクトと希望を届けた。
そのプロジェクトの一翼に、“彼だったら、興味を持ってくれるだろう”という気持ちから始まったADKのチームがあった。
ADKという土壌で、“何か”が生まれる瞬間を追う。
大学在学中の海外留学を経て、大手ECプラットフォーム会社でビックデータ解析業務に従事。今後はデータが企業のコミュニケーション全体に影響するようになるという視点と、パーソナライズが進むことで、人に対する洞察力や人にしかできない創造的な試みがこれから面白くなるという考えから、2013年ADKに入社。2019年にADKクリエイティブ・ワン、イノベーションデザイン・ブティックaddict立ち上げに参加し、クリエイティブとテクノロジーを組み合わせたコミュニケーション領域に従事。
株式会社オリィ研究所が主宰・運営する、ALSなどの難病や重度障害で外出の困難な人が、分身ロボット「OriHime」「OriHime-D」を遠隔操作しサービススタッフとして働く実験カフェ「分身ロボットカフェ DAWN」の社会実装をサポート。カフェの運営ではなく、障害者に社会参加の機会を作ることをゴールにした当プロジェクトをどのように推進し、どう広めるかの戦略を立て、実行した。その結果、多くの賛同企業が集まり、プロジェクトは世界的な話題に。カフェで働いていたサービススタッフの雇用を申し出る企業も出てきている。
このプロジェクトに関わった
きっかけと、お2人の出会いを
教えてください。
小塚:私がクリエイティブやテクノロジーに関わる仕事を多く扱っていたり、「SCHEMA」でスタートアップのイノベーション支援をしていたことから、オリィ研究所の取り組みをもっと世間に広められないか、と相談がきました。すぐに興味を持ちましたが、自社で分身ロボットを開発して社会実装しているテクノロジードリブンな会社だったため、“ひとりでは手に負えないかも”と感じました。そこで、クリエイティブとテクノロジーに明るく、エンジニア経験もある貞賀君に声をかけました。彼だったら間違いなく、興味を持ってくれるだろうと思っていたし、同い年でもあり、同時期に統合型クリエイティブを扱う部署に入った“同期”だったため、声がかけやすかったのもあります。
話を聞いて、貞賀さんは
どう感じましたか。
貞賀:ぜひやりたいと思いました。いわゆる広告会社らしいメディアビジネスではなく、テクノロジーを使いながらも人にフォーカスした取り組みで、元々興味を持っていた領域でした。一方で、広告会社としてイレギュラーな仕事に取り組む“難しさ”もありました。オリィ研究所の取り組みをもっと広げるには、広告の企画・制作という通常業務の枠を超えて、社会実装するためのプロジェクトデザインが必要でした。そこで、従来の広告会社の仕事のようにクライアントから広告費をもらって対消費者にコミュニケーションを作るのではなく、障害者パイロットの方、協賛企業の方、障害者雇用に携わる企業人事の方など、さまざまな方にこのプロジェクトの意義が伝わるよう進行しました。クリエイティブ・ブリーフをもらう代わりに、クライアントと議論を重ねましたが、従来の仕事の進め方とは“プロセス”が異なっているだけでアウトプットはイメージできていましたし、ぜひカタチにしたい、社会的意義があるプロジェクトだと思って取り組みました。
小塚:最初にお声がけいただいた時点で、オリィ研究所の分身ロボットはすでに注目されていましたし、障害者支援に活用するさまざまな取り組みも進んでいました。しかし障害者支援という文脈が中心だったため、世間一般にはまだまだ十分に知られておらず、“素晴らしい取り組みなのにもったいない”という状況でした。だからこそ、広告制作やメディアビジネスに留まらず、プロジェクト全体にコミットして社会実装していくことが必要でした。そして、この取組みに貞賀君も共感してくれて、素晴らしいクリエイティブが一緒に作れるだろう、という確信はありました。もちろん、社会の役に立てる仕事ができればいいなという気持ちはありましたが、その想いは貞賀君の方が強かったのではないかと思います。私はSFが好きで、このようなテクノロジーの進化と社会実装によって世の中がより良く変化していくことに興味があり、“何か面白いことになるかもしれない”というワクワクする感覚のほうが強かったですね。
今回のように
“個人”が起点となって、
新たなビジネスを創出する土壌が、
ADKにはあるのでしょうか。
小塚:個人的な感想ですが、この会社は自由度が高いと思います。裏を返せば、職人に丁稚奉公するような感覚で手取り足取り専門的な指導をされる訳ではないので、自分のキャリアは自分で考えていかなければならない。自由だからこそ、自分で動いて、社内外でいろんな人と繋がって、ワクワクするようなプロジェクトに取り組むこともできます。実際、多くの人が“誰と一緒に冒険に出ようか“”どんな仕事を取りに行こうか”と考えている気がします。特に、私たちが在籍していた統合型クリエイティブの部署には、色々なタイプの人材が集まっていて“世の中を楽しませるような仕事をやろう”という空気に満ち溢れていました。プロボノ企画を立ち上げて社会実装したり、大型イベントを企画してスポンサーを募るなど、様々な領域で様々なことを仕掛けようとしている人がいて、刺激を受けました。
貞賀:個人のやりたい気持ちを大事にしてくれる空気はあると思います。転職の際、データ解析ではなく、その経験と広告クリエイティブを組み合わせた仕事をやろうと考えていたときに、統合型のクリエイティブを担っていた部署の本部長と話す機会をもらいました。そこで、即戦力とは言い難い自分に対し、「思考性がいい」と言ってくれて。おかげで入社してから非常に多くのことを吸収できましたし、理由なく何かが止められてしまうことはないように思います。
転職してきた際に貞賀さんは、
小塚さんがおっしゃったような
“ADKの自由なカルチャー”を
感じましたか。
貞賀:そうですね。自由な空気は感じましたし、面白い人もたくさんいました。そして、面白がってくれる人が多いと思います。小塚君は一番身近な同僚で、一番面白がってくれた人でした。他に、上司はもちろん、クリエイティブのコピーライターの大先輩とか、映像制作の大先輩、マーケティング寄りの上役など、それぞれ別の専門分野の人なのに「貞賀が言っているのは、なんかいいね」「どうやればいいんだろうね」と前向きに関心を持ってくれる人がたくさんいて、支えてもらっている感覚です。
小塚:少し別の視点でコメントすると、ADKは監督の指示が少なく現場判断を主体として連携プレーを行うスポーツチームのように、各社員が守備範囲や役割を超えて臨機応変に働くことを歓迎する雰囲気があります。だから、CMプランナーがCMだけ、コピーライターがコピーだけ、アートデレクターがデザインだけ作っていれば良いという世界ではありません。特に新しいことを始めるとき、明確な役割分担が決まっていないなら、自分たちでチャレンジして実現してしまおうといったカルチャーです。だから畑違いの分野の人が集まって、できることがあればやろう、できなかったら一緒に協力者を探そうとしてくれます。
プロパーと転職組の
違いってありますか。
働きやすい環境ですか。
小塚:もはや誰が転職組で、誰がプロパーかなんてわからないです。最近は転職組の方が比率が多いとも聞きますし、いまこの質問を聞かれるまでその区別を考えたこともありませんでした。他社から転職してきたかどうかより、その人自身がどんな人かの方がずっと大事ですね。
貞賀:外から入ってきた人間としては、非常に働きやすい環境だと感じています。転職組だからといってやりにくさを感じたこともないですし、みなさん普通に「転職組なんですよ」と何の隔たりもなく話しています。ただ広告ビジネス自体が変わり目なので、意志のある人が活躍しやすい。「言われたことをやる」という人には向かないかもしれません。
お2人のような仕事を
するためには
何が
必要なのでしょうか。
小塚:興味を惹かれることがあったら自分で旗を立てたり、メンバーを集めたりして仕事を進めていきます。“こういう仕事にクリエイティブで関わりたい”と思ったら、どんどん自分で手を挙げて仕事を作ればいいと思います。もうひとつ重要なのは、外に目を向けることです。社内の人間だけでは、似たもの同士が集まり、アンテナがどうしても下がって、特定のところで留まってしまいがちです。全く別業種の人とか、広告以外のクリエイターやデザイナーと付き合うと、ワクワクするような仕事の相談が直接きたり、新しいきっかけが生まれます。今回の仕事も、もともとADKにいた先輩がオリィ研究所代表の吉崎オリィさんと個人的なお付き合いがあって、そこから話が広がっていったと聞いています。今までにない仕事をやりたいなら、ビジネスタイムの中だけでチャンスをつかもうとするのではなく、プライベートの時間で気になった人と仲良くなってみたり、自分がまだ経験したことがない体験をしてみたりするなど、自分の人生を楽しくするところから始めてみるといいかもしれません。
貞賀さんは転職をしてから、
自分でやりたいことを
どのように引き寄せたの
でしょうか。
貞賀:転職後しばらくは、当然、辛抱強くやらなければいけない時期もありましたが、小塚君の言うように人とのつながりや自分から動くことが大事だと思います。最近だと、営業と蜜に話す機会を増やしています。現在は、クリエイターであっても、いい仕事をするにはビジネスそのものを考える力が必要だと感じていて。自分から営業に声をかけたり、職種に関係なく必要なことは貪欲に吸収し、いろんな人と一緒にチャレンジできる機会を作りたいと常々思っています。
今後のビジョンを教えてください。
貞賀:2019年に「addict」という組織の立ち上げに参加して2年が経過しましたが、今回のような仕事を次に活かしたいと思っています。かつて、メディアの役割は不特定多数の人々に向けて共通の情報を出すことでしたが、その概念は急速に変化しています。データやテクノロジー、クリエイティブを組み合わせることで、従来のメディア発想に囚われず、一人ひとりに体験を提供し、双方向のコミュニケーションをつくることができる。そんな体験デザインや、クリエイティブに取り組みたいと思います。最近取り組んでいる新規事業やDX領域であれば、アウトプットだけではなくよりパートナーとして向き合いたい。色々な人の力を借りながら、チームとしてより良い形で課題解決を図っていきたいです。
小塚:貞賀君に近いですが、テクノロジーとクリエイティブで世界を変えたいと思っています。この世界の大きな課題が解決するとき、そこにはアイデアだけでなく新しいテクノロジーがあり、イノベーションに繋がることが多いと思います。たとえばIoTやロボット技術が進化することで、未解決の課題が新しいレベルで解決するかもしれません。そしてそのテクノロジーを社会実装するためには、デザインとクリエイティブの力も、当然必要になってきます。私がやりたいのはそこの部分です。
それができる仲間もいるし、
ADKに土壌もあるから、
リソースを共有しながら
大きな世界が作れるという
ことですね。
小塚:そうですね。ただ楽しくなりそうな仕事の種はたくさんあるのですが、それに対して人が足りないと思います。もっと面白がってくれる人が増えてほしい。特に若手世代を中心にもっと尖って楽しくなりそうな仕事に取り組めるような雰囲気がさらに広がれば、もっともっといいアウトプットが増えていくはずです。例えば、貞賀君みたいな人が外から入ってくると、私たちも“変わらなくては”と思うようになります。私が今回、オリィ研究所の件で相談を受けて、すぐに貞賀君に相談したのは、慣れ親しんだメンバーだけで“やり切れるのだろうか”と不安になったからというのもありました。同時に、貞賀君と一緒に仕事をすることで、自分自身が変われるチャンスになるかもしれない、とも思いました。広告会社にプロパーで入社して長く在籍すると、どうしても広告業界のしきたりに染まっていってしまいますが、いろんな業界からADKに転職されたスペシャリストの方々と関わると、自分の感覚がアップデートされていきます。特に同世代で別のバックグランドを持っている方が入ってくると、“世の中にはもっと面白いことってあるよな”“全く違う視点があるんだな”と刺激されます。そんな変化が、この先、ADKの中の色々な場所で起きたら良いですね。
大学時代からデジタルの知見を積み、2009年、株式会社アサツーディ・ケイに入社。デジタルメディアを扱う本部に所属し、デジタル領域を企画・制作を横断的に扱うプランナーとしてキャリアをスタート。その後、統合型クリエイティブを扱う本部に配属され、クリエイティブ・ディレクター、クリエイティブ・テクノロジストとして活躍。2018年、スタートアップのイノベーション支援を行う「SCHEMA」の立ち上げに参画。現在はADKマーケティング・ソリューションズ EXデザインセンターと兼務。